Masuk「白峰さん! 騙されるな! そいつは人殺しみたいな目をしてるぞ! 近寄っちゃだめだ!!」
陽太がなにか喚いている。けれど、私はそれを完全に無視した。馴れ馴れしくしないで欲しい。
今世では、私とあなたは他人。決して交わることのない者同士よ。「お前たち、なにをやっている。早くこの物売り男をつまみ出せ」
無情に帝が言い放つと、SPは彼の腕をがっちり掴んだ。
「やめろ、離せ!!」
背後から、耳障りな野良犬の遠吠えが聞こえてくる。 ガードマンやSPたちに両脇を抱えら
「ストップ安だぁぁぁぁあッ!!」 弁護士が絶叫した。「ひっ!?」俺の肩が跳ねる。「寄り付きから一切買い手がつかねえ! 売り注文が殺到して、ずっと売り気配のままだ!!」「……で、でも、ストップ安なら明日戻るだろ?」「戻るかァ!!」 弁護士が机を叩いた。 「信用全力買いだぞ! お前が『絶対に上がるからレバレッジ限界まで行け』っつったんだろうが!!」「あ……」「株価が下がるたびに評価損が膨らんで、証券会社から追証の電話が鳴りっぱなしだ!!」 (※架空物語の株式取引のため、面白く脚色してあります。本物の相場・やり方とはルールが異なりますことをご了承ください。)「あ……あ……」「120億の利益どころか、元手の5億4千万も全額消し飛んで……」 弁護士が一度、息を吸った。そして――「【マイナス30億円の追証借金地獄】だぁぁぁぁッ!!」 シーン…… 作業場が、完全な絶対零度へと静まり返った。 30億? 「…………」 俺の脳内で、その数字がぐるぐる回る。 1億じゃない。 3億でもない
――そして、運命の木曜日! 俺は朝から機嫌がよかった。 いや、機嫌がいいなんてもんじゃない。最高だった。 なにせ今日こそ、大和ナノマテリアルの株価が爆発する日なのだ。 前世の記憶では、木曜日の午後に政府の大型プロジェクト採用が正式発表され、株価はそこから連日のストップ高。 俺はもう、この刑務所の囚人なんかじゃない。 未来を知る、選ばれし投資の神。 いや、神そのものだ!「ふふん……」 鼻歌を歌いながら、俺は作業台に足を乗せていた。 周囲では熊田たちが、俺を見るたびに期待に満ちた顔を向けてくる。 当然だ。俺についてきた人間は、全員億万長者になるのだから。「一条先生、今日ですよね?」「ああ」 俺は余裕たっぷりに顎を上げた。「今日の午後には世界が変わる。お前ら、今のうちに庶民の空気を吸っとけよ?」「さすが先生だ!」「一生ついていきます!」 ククク。そうだ、もっと崇めろ。 こんだけ金があったら、保釈金払って刑務所出られるんじゃね?
「ひ、ひゃく……ひゃくにじゅうおくえん、だとおおおおおッ!?」 刑務所の面会室。アクリル板の向こうに座る熊田の顧問弁護士が差し出した最新の資産残高報告書を見て、俺は文字通り椅子から転げ落ちそうになった。 大和ナノマテリアル株―― 俺の神託通り、政府の「次世代国家戦略半導体プロジェクト」に指定されたというニュースが号外で流れた瞬間、株価はたった400円から連日ストップ高の狂乱乱舞。 信用取引の3倍フルレバレッジをかけていた5億4千万円の元手は、わずか1ヶ月足らずで【120億円】という天文学的な数字にまで膨れ上がっていたのだ! 「一条先生! 外の若い衆も組の幹部連中も、みんな先生を『生き神様』と呼んでますぜ!」 面会室の隅で立会人を務める買収済みの刑務官までもが、揉み手をしながら俺に最敬礼してくる。 「が……がははっ! がははははははッ!! 見たか! これが俺の実力よ!!」 雑居房に戻れば、もはやそこは刑務所ではなかった。 『一条教』の神殿だった。 「一条大先生! 本日の夕食の特注うな重(※裏ルート差し入れ)でございます!」 「先生の肩の凝りは、我が組の総力を挙げてほぐさせていただきますッ!」 熊田をはじめとする凶悪犯たちが、俺の前にひれ伏して畳に頭を
「一条先生、今日の晩飯のサバの味噌煮、俺の分の皮の美味いとこもどうぞ!」 「先生、肩凝ってやしませんか? 極上の指圧いきますぜ!」 雑居房の畳の上で、俺は腕組みをしてふんぞり返っていた。 右からは元地面師がうちわで風を送り、左からは元闇金の男がアルミ皿に自分のおかずをせっせと献上してくる。 「うむ。苦しゅうない。……おい熊田、お茶がぬるいぞ」 「へッ、ただいまアツアツの淹れ直してまいりますッ!」 あの百キロ超えの元広域指定暴力団幹部・熊田が、両手でやかんを持ってペコペコと頭を下げている。 この世の春。いや、この『塀の中の春』だ。 東洋石油のストップ高で、熊田の若い衆は二千万をあっという間に一億二千万円に化けさせた。 その噂はあっという間に刑務所内の裏ネットワークを駆け巡り、今や第四雑居房の連中だけでなく、隣の房の重鎮や、果ては買収された一部の刑務官までもが、俺にコッソリと甘い汁を吸わせてもらおうとすり寄ってきていた。 「先生、これが差し入
刑務所の夜は早い。午後九時の消灯ラッパが鳴り響くと、六畳ほどの雑居房は重苦しい静寂に包まれる。 俺が収容されたのは、一癖も二癖もある凶悪犯や経済ヤクザが集まる第四雑居房。 その中で絶対的な権力を握っていたのが、詐欺と横領で懲役七年を食らっている通称『熊さん』こと熊田だった。 元広域指定暴力団の幹部で、体重は優に百キロを超える巨漢。鋭い眼光と顔中に入った傷跡は、見るだけでションベンをちびりそうになる威圧感を放っている。 「おい、一条」 布団に入った直後、暗闇の中から熊田の野太い地声が響いた。 「ヒッ……! は、はいッ! 熊田さん、何でございましょうか!」 俺は布団から飛び起き、正座して両手を膝に置いた。雑居房の最下層である俺は、熊田の肩もみから便所掃除まで、あらゆる雑用を押し付けられているのだ。 「お前、昼間の作業中、ブツブツと『株がどうの』『前世の記憶がどうの』と呟いてたな? あれは一体どういう意味だ?」 暗闇の中で、熊田のぎらついた目が俺を値踏みするように光る。他の同房者たち――元裏カジノの胴元や地面師たちも、息を潜めて聞き耳を立てていた。 普通なら「何でもありません」とビビって縮こまるところだろう。 だが、この時俺の頭の中で、悪魔の閃きがピピピッと走ったのだ。 (待てよ……こいつら、塀の中にいるとはいえ、シャバにはまだ
※82話以降からは、一条陽太の番外編になります。引き続きお楽しみください※ 「おい、新入り! 手の動きが止まってんぞ! さっさと紙箱折らねえか!」 刑務官の怒声が、静まり返った刑務所の作業場に響き渡る。「ヒッ……す、すみませんッ!」 番外編にまで搭乗できるくらい人気者の俺、一条陽太は、ビクッと肩を跳ね上げ、目の前にあるボール紙を慌てて折り曲げた。 指先は糊(のり)と紙の摩擦でカサカサになり、爪の間にゴミが挟まって薄汚れている。 全身を包むのは、無機質でダサい灰色の囚人服。 かつて銀座のクラブで数千万円のシャンパンタワーをぶっ放し、モデル崩れの女たちを侍らせていた一条グループの御曹司の姿は、ここには微塵もなかった。(くそっ……! なんで俺がこんなところで内職みてえな作業をしなきゃならねえんだ……ッ!) 心の中で悪態をつきながら、俺は必死に紙箱を組み立てる。 保釈中の凶器所持による強盗未遂、建造物侵入、詐欺未遂。数々の罪状が上乗せされ、言い渡された判決は懲役5年の実刑。 親父には完全に縁を切られ、実家の一条グループは75億円の負債で倒産。俺を騙して利用しようとした鷹司華音も別の刑務所で服役中だ。 世間から見れば、俺はすべてを失った正真正銘の敗北者だろう。 だが――俺の目は、まだ死んでいなかった。 (笑わせるなよ。俺にはまだ、最強の切り札が残っているんだ……) 作業台の隅を見つめながら、俺はニヤリと口角を歪めた。 そう! よくぞ聞いてくれた!! 俺には【前世の記憶】がある。 前世で俺は、あの大人しくて地味だった白峰結月を嫁にもらい、あいつの実家の資産を好き放題に使って贅沢三昧の生活を送っていた。 今世では諸星帝とかいうポッと出のクソ野郎に横取りされ、結月も調子に乗って俺を裏切ったが……あいつらの天下なんて長続きするはずがない。 (思い出せ……前世の記憶を。あと2年もすりゃ、世界的な大暴落が起きて、その後に爆発的に伸びた産業があったはずだ……!) 刑務所の中で5年なんて、俺にとっては単なる「充電期間」に過ぎない。 ここで前世の記憶を徹底的に整理し、出所した瞬間に残された全財産――いや、誰かを騙して引っ張ってきた軍資金を元手に、大化けする銘柄にフルレバレッジをかけてやる。 1億が10億になり、10億
それどころか、前世の一条グループじゃ逆立ちしても手が届かなかった財界のドン・武藤会長に自分からすり寄って、なんかクソ難しそうな半導体の話をして、あっという間に気に入られてやがる。 俺にわからねえ話で盛り上がるなんて……生意気だ!「おい、ふざけんなよ……! なんであいつ、俺をあんなゴミを見るような目で見たんだよ……っ!?」
※「——結月さん? 白峰結月さん、聞いていらっしゃいます?」 名前を呼ばれて私は目を開けた。 まず飛び込んできたのは、まばゆいシャンデリアの光だった。磨き上げられた大理石の床。氷とグラスの触れ合う澄んだ音。着飾った人々が交わす華やかなざわめき。香水と、生花と、上等なワインの匂い。 冷たい安アパートの天井ではなかった。胸を焼く痛みもない。 視界を落とすと、手が映った。それは——細く、白く、傷ひとつない若い指が、シャンパングラスを握っていた。 鏡張りの壁に映った自分の姿に私は息を呑んだ。そこに立っていたのは、二十二歳の私だった。 すべてを奪われ、たった一人で死んでいったはず
志田成美、彼女は陽太がまだ何者でもなかった学生時代に、ただ一人本気で恋をした女。 そして、彼の前から黙って姿を消した女だった。 彼女は、儚げな人だった。私とは何もかもが正反対の。守ってあげなければ今にも壊れてしまいそうな、潤んだ瞳。風が吹けば飛んでいきそうな、頼りない肩。陽太は成美を前にすると、人が変わったように優しくなった。まるで、置き去りにしてきた青春を、もう一度やり直そうとするみたいに。 成美が「経営のことは、私、何も分からなくて」と困ったように睫毛を伏せれば、陽太は嬉々として手を差し伸べた。私が十年かけて整えてきた会議の段取りを後回しにしてまで、彼女のために時間を割いた。
「はぁ……」 私はため息をついた。 天井のしみを、もう何百回数えただろう。 白い天井に走る、雨漏りのあとのような薄茶色のしみ。三つ、いや四つ。数えるたびに増えていくような気さえする。かつての私なら、こんな安アパートの天井を見上げて死ぬ日が来るなんて、想像すらしなかった。 白峰結月(しらみねゆずき)。白峰ホールディングスの一人娘として生まれ、何不自由なく育った。海外の大学で経営学を修め、二十代の半ばで財閥の中核事業を任され——そして三十を過ぎた今、私は、すべてを失った。 医者は、過労と慢性的な栄養失調が重なったのだと、淡々と告げた。笑ってしまう。財閥令嬢として生まれた女が、その日の食







